基準をどこに持っていくか

私自身は、普通に小学校、中学校、高校と入学し、大学を卒業しました。その後、会社に就職して働き、結婚をしました。

それが当たり前で、それが一般的な生き方。そしてそれが幸せだと思っていました。

さて、いざマロが生まれてから…この子はその当たり前で、幸せな人生が送れないかもしれない。自分の中では衝撃で、悩み苦しみました。自分の子どもが不幸だと思いました。

でもそれって、作られた社会を基準をしていました。何歳ではこのぐらい能力があって、何歳では小学校に入って勉強ができて、、その後進学して、、、

発達検査もそうだけど、それは社会のシステムに合わせた社会の物差し。

でも人間の物差しではないでしょ?人間をはかる物差しなんてない。

じゃあマロは人間として劣っているわけでもなく、一人の立派な人間として存在している。

そう思えたとき、私自身の肩の力がすっと抜けました。

もちろん、この社会で生きていかなければならないから苦労は多いだろう。だから、できるだけのサポートはしたい。でも、無理に当てはめようとせず、この子らしさを追求していきたい。

きっと、辛いこと、苦しむことがたくさんあるだろう。

だけど、そんな中でも自分は自分だと胸を張って生きていける、そんな子供に育ってほしい。

が、しかし、、、マロはガラスのハートの持ち主。さて、どう大きくなっていくのかな(笑)

 

 

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